こんにちは。今回はチュニスの旧市街(メディナ)の街歩きの様子をご紹介します。
ヨーロッパとイスラム文化が融合した新市街についてはこちら↓
チュニスは、古代フェニキア人によってカルタゴの衛星都市として建設され、ローマ帝国の属州を経て、7世紀頃からイスラム化が始まりました。以降も幾多の王朝の首都として栄え、ヨーロッパや中東と交易が活発に行われたことでさまざまな文化が形成され、各時代の文明を示す建造物や都市構造が保存されている点が評価され、ユネスコの世界遺産に登録されています。
チュニスのメディナの入口
チュニスのメインストリート、ハビブ・ ブルギバ通りを東に進むとメディナの入口に到着します。メディナの入口には立派なフランス門が鎮座。


フランス門の内側には噴水のあるヴィクトリースクエア(勝利の広場)が広がっています。

広場に面した場所には、ホテル・ロイヤル・ヴィクトリアやカフェが軒を連ね、地元の人々や観光客で賑わっています。
チュニスのメディナのスーク
グランド・モスク周辺には、様々なスーク(市場)が形成されています。フランス門からグランド・モスク(オリーブモスク)に向かってメインストリートのジャーミア・ズィトーナ(Jamaa Ez Zitouna)通りが伸びています。この通りの両脇には、土産物屋が所狭しと並び、観光客で混み合っています。



食器やカーペット、タイル、靴、雑貨、衣類などカラフルで可愛いものがいっぱい。荷物になるので、買いませんでしたが、歩いて見てるとワクワクしてきます。

狭い路地沿いにあるカフェでは、男性がお茶を飲んだり、タバコや水タバコを吸いながら寛いでいます。

土産物通り以外は、ジュエリーや宝石、お茶、香水、バッグ、リネン、革製品など、それぞれの専門店がエリアごとに分かれていて、ローカルのお客さんがメインのディープな感じ。




グランド・モスク(オリーブモスク)
チュニスのグランドモスクは、7世紀末から8世紀初頭にかけて建設されたチュニス最古のモスク。ズィトーナ(オリーブの意)モスクと呼ばれていますが、一説にはかつてこの場所にオリーブの木々が茂っていたからとも。

モスクの中に入れるのかよくわからず、外から見ただけ。

グランド・モスク周辺には、建物の屋上にテラスがあるカフェがいくつかあって、呼び込みの人が多かったです。テラスからは、モスクやメディナを一望できるみたいなので、立ち寄ってみてもよいかもしれません(モスク周辺の人の多さに疲れて、結局私はテラスのあるカフェには寄らず、足早に離れてしまいました)。
静かな路地裏

こちらは17世紀に建設された、オスマン様式のモスク。


スークエリアから少し離れると、閑静な路地裏が広がっていて、地元の人の日常が垣間見られます。



メディナの路地裏散策は、突然思わぬ景色に出会えて楽しい。



白壁にチュニジアンブルーが映える美しい路地があったかと思えば、人がいなくなって朽ち果て、廃墟と化したエリアもありました。
カスバ広場とチュニス市庁舎
メディナの西側の丘には、カスバ広場が広がっています。

カスバ広場の中央には大きなモニュメントがあり、その先にある近代的な建物はチュニス市庁舎。

カスバ広場周辺は、政府系の建物が多く、入り組んだメディナとは異なり、整然とした雰囲気が漂っています。

小高い丘に位置しているのか、遠くまで見晴らせました。人通りも少なく、メディナの喧騒に疲れたら、カスバ広場まで出て、一息つくのもよいかもしれません。
華やかなインテリアのCafe Ksar Ezzahraa
メディナには、レストランやカフェが点在しています。Cafe Ksar Ezzahraaは、たまたま通りかかって、気になったので入ってみました。

入口の独特な雰囲気に惹かれて吸い込まれるように入ってみると・・・

奥には、カラフルで華やかなインテリアが見えます。

天井や壁一面、全てに装飾が施されていて、とにかくカラフル。螺旋階段を上っていくと、

窓から自然光が差し込んで、入口からは想像がつかない明るく華やかな空間が広がっていました。

あまり商売っけがなく、広々とした空間で、お客さんもまばら。そのまま出ることもできましたが、せっかくなので、休憩することに。

甘いミントティでほっと一息。アラブのカフェ文化・・・奥深い。
次回は、チュニス郊外のカルタゴ遺跡とチュニジアンブルーのメルヘンな街シディブサイドへ向かいます。
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