こんにちは。
チュニジア旅行も終盤のこの日は、チュニスから日帰りで近郊のカルタゴ遺跡とシディ・ブ・サイドへ行ってきました。
チュニスからカルタゴまでの行き方
チュニスからカルタゴへは、近郊電車TGMでアクセスすることができます。チュニスのTGMの駅は、ハビブ・ブルギバ通りの東側にあります。
駅の窓口で降りる駅名(Carthage Hannibal)を告げてチケットを購入。
こんな感じの紙のチケットで0.800TNDでした。チュニスからカルタゴ遺跡の最寄りカルタゴ・ハンニバル(Carthage Hannibal)駅までは、約20分。電車はチュニスの駅を出るとすぐに湖沿いを走ります。
Google Mapとにらめっこしながら、降りる場所をチェックしてたら、隣に座っていたチュニス出身の女性に声をかけられ、少しおしゃべり。
彼女は、カルタゴのビーチで友達とチルしに行くところらしく、よかったら一緒にどう?っとお誘いを受けたけど、今日は観光したいからと丁重にお断りして、バイバイ。チュニジア人って、本当にフレンドリー。
そうこうしているうちに、あっという間にカルタゴ・ハンニバル駅に到着。
白とブルーのコントラストが美しい。駅に改札はなく、とってものどか。チケットは、写真左側の有人のチケット売り場で買えます。
まず最初は、ビュルサの丘へ向かいます。
駅から徒歩で10分ほど。閑静な住宅街のなだらかな坂道をひたすら上っていきます。地中海沿岸のリゾート地っぽい開放的な雰囲気が漂っています。
ビュルサの丘(Byrsa Hill)
うっかり、曲がるところを間違えたようで少し遠回りしたみたいですが、最初の目的地「ビュルサの丘」に無事到着。
階段の先に見えるのは、セントルイス大聖堂。
セントルイス大聖堂の横にチケット売り場があります。チケット代は12TNDで、ビュルサの丘を含め、8ヶ所入場できます。
ビュルサの丘には、カルタゴ博物館がありますが、私が訪れた時(2023年1月)は、クローズしており、残念ながら展示は見られませんでした。
セントルイス大聖堂は、フランス領時代の19世紀末にローマ・カトリックの大聖堂として建設されたもの。現在は、宗教機能はなく、文化センターとして利用されているそう。
ビュルサの丘からは、現在のカルタゴの街並みとその先に地中海を望めます。
カルタゴは、紀元前9世紀に海の民フェニキア人により地中海の植民都市の一つとして建設されたのが始まり。
カルタゴを拠点に最盛期には西地中海の覇者となったものの、イタリア半島を拠点とするローマ帝国と地中海の覇権をめぐり、3度にわたるポエニ戦争で激突。
紀元前146年にローマ軍に攻囲され、カルタゴの町は徹底的に破壊され、滅亡に追い込まれました。
カルタゴ滅亡後、この地はローマ帝国により都市が築かれたため、現在残る遺跡のほとんどはローマ時代のもので、古代カルタゴの痕跡は、ここビュルサの丘のポエニの住居跡とフェニキア人の最高神を祀ったトフェの墓地などわずかに残るのみ。
発掘された柱の数々。
ビュルサの丘の東側は、2世紀のローマ時代のバシリカ(法廷)の遺跡があります。カルタゴのバシリカは、民事裁判所としてはローマのバシリカ・ウルピア、バシリカ・ユリアに次いでローマ世界で3番目に大きいバシリカだったそう。
2000年以上前に西地中海の覇者となったカルタゴもそのカルタゴを破りこの地に都市を築いたローマも今はただの遺跡・・・
栄枯盛衰を感じながら、次の場所へ向かいます。
ローマ劇場(Roman Theatre of Carthage)
続いては、ローマ劇場。ビュルサの丘からは徒歩15分。
この日は天気が本当によくて、ポカポカ陽気。チュニジアの冬は、日中は穏やかで心地よい。
これは何の花だろう・・・。同じ南国でも東南アジアとはまた違う。
緑が多くて、閑静な住宅街をしばらく歩いていくと、ローマ劇場に到着です。
入口はかなり整備されています。途中のチェックポイントで、共通チケットを提示し、中へ入ります。
途中には、彫刻装飾が無造作に置かれています。
ローマ劇場は、2世紀に建造され、かつては5000人以上の観客を収容し、演劇や討論会など文化的なイベントに利用されていたそう。5世紀に破壊され、現在のローマ劇場は19世紀に再建されたようで、ローマ時代の名残があるのかは不明・・・
ステージは鉄筋構造で近代的。現在は、カルタゴ国際フェスティバルの会場として利用されています。
観客席の上からは、地中海が望め、なんとも素敵な眺め。
私が訪れた時は、他に2〜3組の観光客がいるのみで、ほぼ貸切状態。
ローマ人の住居跡
さて、サクッとローマ劇場を観た後は、ローマ人の住居跡へ。
ローマ劇場のすぐ裏手には、ローマ時代の裕福な人たちの住宅街の遺跡があります。地図上では目と鼻の先ですが、私が訪れた時は、ショートカットできる道がなく、いったん正門まで出て、行くしかありませんでした。
こちらでも途中のチェックポイントでチケットチェック。
このじゃり道を進んでいくと遺跡が広がっています。
入ってすぐのところにある建物遺跡は、コッバ・ベント・エル・レイ(Kobba Bent el Rey)と呼ばれる4世紀の地下建造物跡。
他の住居遺跡より低い位置にあるけれど、言われなければ、ここが地下だったとは気づかないかも。ディド(カルタゴを建国した伝説上の女王)の浴場ともよばれているそうです。
床にはモザイクが残っています。建物の構造が残る方へ行ってみると。。
壁には、遺跡内から発掘されたと思われるモザイクが無造作に立てかけられていました。
残念ながら建物内は入れませんでした。この地下建築は、宗教的な聖域となっていたようで、内部は大小様々な部屋があるそうです。
この遺跡、ローマ時代の高級住宅街だったそうですが、今も昔もかわらず、この周辺は高級住宅街。
こちらは、ローマ時代の住居跡の中でも有名な「ヴォリエールの別荘(Villa de la volièr)」。
列柱が並ぶ中庭の床には、カラフルなモザイクが残っています。
volièrとは、鳥小屋という意味。床のモザイクには、鳥の図柄が多く描かれています。
上から見ると建物の構造がよくわかり、かつての優雅な暮らしぶりが偲ばれます。
地中海が望める絶好の立地。
区画整理もしっかりされ、石畳の道が続いています。もしかしたら、かつての景観は今のこの地区の景観とそんなに変わらなかったのかもしれません。
この住宅遺跡の近くには、マグレブ様式の立派なミナレットを持つモスクがありました。
地中海の交易の要衝として、何世紀にもわたり、支配国が入れ替わり、様々な文化が入り混じって形成された国なんだなあと改めて実感しました。
アントニヌスの共同浴場
ローマ人の住居跡を見学した後に向かったのは、海岸沿いにあるアントニヌスの共同浴場。
アントニヌスの共同浴場は遺跡公園のようになっていて、かなり広大な敷地が広がっていました。この遺跡公園内には、浴場遺跡以外にもポエニ人の墓地遺跡や初期キリスト教の葬儀用礼拝堂の遺跡などもあります。
ただ私は、結構歩き疲れてきたこともあり、他の遺跡はパスして、浴場遺跡に直行。
林の中を案内板に従って海の方へ進んでいくと、目の前がパッとひらけて、立派な遺跡が突如現れました。
こちらは当時の建物の復元図とフロア図。海岸沿いに建つ宮殿のようなアントニヌスの浴場。アントニヌス帝時代に建てられたことからその名が付けられています。
現在は、基礎部分の遺構と柱がいくつか残るのみですが、その大きさは十分にわかります。ローマ帝国時代の浴場としては、ローマ以外では最大の規模を誇る公共浴場だったのだとか。
この巨大な公共浴場には、温浴室やサウナ、冷浴室(冷水プール)、ジム、海水プールなどを備えていました。
早速遺跡のところまで降りてみました。
迷路のように入り組んでいて、何がなんだかは正直わかりません。
遺跡内には、彫刻レリーフ装飾や碑文の破片なども点在していました。
水路の跡もあちこちで見られます。
一際存在感のある高い柱。色が違うのは修復されたからか・・・
柱の基壇の上あたりが床の高さだったと思われます。
精巧な彫刻と碑文の断片が置かれていました。
この浴場、5世紀頃までは利用されていたそうですが、ヴァンダル族の侵略で破壊され、その後アラブ人によりチュニスの都市建設のために柱などの建材を持ち出されたようです。
自動車がない時代に何トンもあるような石材をどうやって切り出し、運び出したんだろう。
さて、まだ共通チケットで見られる遺跡はいくつかあるけど、だいぶ満足&疲れてきたので、カルタゴ遺跡巡りはこれにて終了。
ちなみにカルタゴ遺跡群、歩いても見て回れますが、流しのタクシーがあちこちにいて、呼び込みしています。頼めば周遊してくれるみたいで、私も声をかけられましたが、結局使わず。時間と体力の節約になるので、効率的に多くの遺跡を巡りたい人は、タクシーで回るか、ツアーに参加するのもよさそうです。
次回は、青の街シディ・ブ・サイドの街歩きです。
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