こんにちは。
バンコクから北に約150kmに位置するロッブリー県。乾季の11〜12月頃はひまわり畑で有名。そしてロッブリー市内は猿の町として知られ、町中には普通に猿が闊歩しています。
ただ、猿があまりにも増えすぎて住民に被害があり、ちょうど私が訪れた昨年5月頃から政府が猿の捕獲に乗り出したそうなので、現在はだいぶ数が減っているかもしれません。
ということで、今回はロッブリーの観光スポットをご紹介します。
バンコクからロッブリーの行き方
バンコクからロッブリーは、車、電車、ロットゥー(ミニバン)が一般的。
①車:2〜2.5時間
②電車:バンスー駅からロッブリー駅まで約2時間
③ロットゥー:モーチットのロットゥー乗り場から約2〜3時間
※電車、ロットゥーは12goでオンラインで予約可能です。
ロッブリー市内の観光スポット
ロッブリーは多くの遺跡が発見されており、古くから東南アジアの要衝だったと考えられています。アユタヤ王朝時代の17世紀には、ナラーイ王がロッブリーを第二の首都に置き、今も当時の史跡が保存されています。
プラ・プラーン・サームヨート(Phra Prang Sam Yot)

まずは、ロッブリーの線路沿い(ロッブリー駅から徒歩約5分)に位置するクメール遺跡のプラ・プラーン・サームヨート。
町中に突如現れる遺跡。

遺跡の南側に入口があり、チケットブースで入場料50バーツを払って入ります。写真の赤い屋根の小屋がチケットブース。入口ではお猿さんがお出迎え。ちなみにチケットブースで猿を追い払うための木の棒が貸し出されます。

え、、お猿さんが襲ってくるの??!!ちょっと怖いんですけど

プラ・プラーン・サームヨートは、12〜13世紀のクメール時代のバンヨン様式で建造されたものとされ、3基の塔堂で構成されています。もとはクメールの大乗仏教の聖域だったと考えられており、その後ヒンドゥー寺院になり、祠堂内にリンガが祀らたそう。

現在残る建物は、17世紀のナラーイ王時代に修復され、仏教寺院に転換されたもので、アユタヤ王朝時代の建築様式が融合しており、アユタヤ時代の仏像も残っています。

私が訪れたのは週末の午前中。ですが、来訪者は私以外一人もおらず、管理してる人と私とその他大勢の猿たちのみ。遺跡と同化してしまっているけれど、無数の猿が遺跡内を徘徊したり、休んだりしていて、猿に侵食されています。

プラ・プラーン・サームヨートの隣の廃墟も猿だらけ。人より猿の方が多い町ロッブリー・・・山など自然の中に猿がたくさんいるのはまだわかるけど、町中にこれだけ野放しになってるのは、住民も大変そう。猿が群がるリアル猿の惑星でした。
プラ・ナラーイラチャニウェート(ナラーイ王宮殿博物館)
続いては、プラ・プラーン・サームヨートから南西500mほどに位置する、ナラーイ王の宮殿跡(Phra Narai Ratchaniwet)。入場料は150バーツ。
東西約280m、南北約200mの壁に囲まれた、約7ヘクタールの広大な敷地には、宮殿跡と博物館があります。

敷地内は大きく分けて、ピンクのエリアが遺跡群、黄色のエリアが博物館となっています。そして、緑が多く、大きな木もたくさんあり、暑いけれど手入れが行き届いていて、とにかく気持ちいい。
ナラーイ王は、西洋との関わりが深く、宮殿の建物は西洋建築の様式も取り入れられていたといいます。ただ、だいぶ崩れてしまっているので、当時の姿はあまり想像がつきません。

こちらは貯蔵庫として使用されていた建物。全部で12棟。

レンガの壁はかろうじて残っていますが、天井は崩れ落ちており、鳩の棲家になってました。

こちらは、貯蔵庫の南奥の壁沿いにあるプラ・チャオ・ハオ・ホール(Phra Chao Hao Hall)。かつてプラ・チャオ・ハオという仏像が祀られていたそうで、王の礼拝堂だったと考えられているとのこと。

この壁の西側は王のプライベートエリア。

ガランとした広い敷地の奥には、基礎部分のみが残るスッタ・サワン宮殿(Suttha Sawan Throne Hall)跡。この宮殿はナラーイ王の住居として使用され、王はここで1688年7月11日に病で息をひき取ったそう。

宮殿の北側には、一段高くなったドゥシット・サワン・ターニャ・マハープラサート・ホール(Dusit Sawan Thanya Mahaprasat Hall)があります。

こちらは、外国の使節団が王に謁見する場として使用された建物。中央奥に安置されているのは、おしらくナラーイ王の像で、地元の観光客の人たちがお祈りを捧げていました。

炎天下の遺跡巡りで体力が奪われそうになった後は、こちらピマーン・モンクット・パビリオンへ。内部は博物館となっていて、ロッブリーで発掘された遺跡や王室の調度品や家具などが展示されています。

ロッブリーのプラ・シー・ラタナー・マハタート寺院のまぐさ石の彫刻(10世紀半ば頃に作られたクメール芸術作品)で、中央にはアイラーヴァタ(インド神話に登場する白い象)に乗るインドラ神が描かれています。

建物の2階には王室の調度品などがたくさん展示されていました。上の写真はラーマ4世(モンクット王)のベッド。

こちらは執務用(読書用?)のデスクでしょうか。

宮殿ネコ。暑すぎて伸びきって寝てました。近づいても全然目を覚さない・・。

博物館の隣の礼拝堂のような小さな建物チャンタラ・ピサーン・スローンホール(Chanatara Phisarn Throne Hall)にも展示物があります。こちらの絵画は、フランスのショーモン大使がナラーイ王にルイ14世からの手紙を渡す様子を描いたもの。
絵画下の説明文によると、
ショーモン大使は直接王に手紙を手渡せないことに気分を害し(西洋では直接手渡すことが慣行のため)、手紙をのせたトレイをナラーイ王の手が届く高さまで上げなかった。そのため、ナラーイ王が身を乗り出して手紙を取ろうとしている。
背景を知ってから見ると、なんだか面白いですね。

博物館を出て、また入口まで戻ります。

庭園の植林が象型に剪定されていて、なんだかかわいい。
人もそれほど多くなく、歴史に興味ある人はおすすめのスポットです。
カオ・ウォン・プラチャン(Khao Wong Phrachan)
最後は、ロッブリー郊外に位置するウォン・プラチャン山。ロッブリー市内から35kmほど北に位置し、車で30〜40分ほど。
Google mapで「3790 Steps」と表示を見つけて、なんだか登りたくなって行ってみました。
朝一バンコクを出て、10時半頃到着。麓の食堂でブランチがてらご飯を食べて、いざ出発です。食堂のおばちゃんにどのくらいで登れるか聞いてみたら1時間半〜2時間くらいとのこと。

目指すは、上の写真の山の頂上の白く建物群が見えるあたり。3790段の階段を登ります!

どことなく中華風な門構え。

張り切って登り始めたものの、20分ほど経った頃でしょうか。前日の寝不足とご飯を食べた直後で血糖値が急激に上がったのか、急に激しい貧血と発汗で気持ち悪くて立っていられなくなり、途中のベンチでしばし休憩。
「せっかく来たけど、体調が悪すぎて無理っぽいからもう諦めて降りよう」と一緒に行ったタイ人友達に謝って、しばし休んでいたら、少し体調回復。
諦めて下りる気満々だったんだけれど、友達が「もう少しだけ登ってみよう。ダメだったらその時下りればいい」と励ましれてくれ、もう少し登ることに。
結局、本調子にはならず、何度も休憩を挟みながらカメさん並みのスピードで登ります。

2時間ちょっとでだいぶ上まできました。ロッブリーの平原が見渡せて、かなり疲れてはいたけれど、気持ちいい。

そして、3時間かけてようやく登頂!予定よりも倍の時間がかかりましたが、よく頑張った。
自分を褒めてあげたい笑

頂上には、3790steps(タイ語)と書かれたボードがあり、撮影スポットとなっていました。

頂上にはお寺があり、仏像がたくさん祀られていました。

暑いけれど、風が心地よい。見晴らしも最高。

山登りって登る時は何度も嫌になるけれど、頂上に登って地上を見晴らす時の達成感は格別。
体調はあまり良くなかったけれど、この景色を見て少し元気になった気がします。
と、晴れ晴れした気持ちはそこまで。ここからまた来た道を下って行かなければいけません。登りに比べれば楽なので、1時間ほどで麓まで降りられると思っていたら、足に爆弾を抱えていた友達が今度は歩行困難となり、登りと同様に休憩を何度も取りながら下山。
途中の売店でアイスを食べて、お店のおじさんと話して、バイバイして100mくらい下ったところで、支払いをするのを忘れてたの思い出し、また階段を登る・・・なんの修行なんだ・・ゼエハア言いながら、「おじさん、ごめん!さっきお金払うの忘れてたー!いくら?」って言ったら、おじさんも??って覚えてなくて、爆笑。
2時間以上かけて、無事下山。麓の駐車場に戻った時は17時を回っていた。軽い気持ちでハイキングするつもりが、ハプニング続きな1日。でも、ある意味記憶に残る思い出になったので、よかったとしよう。
健脚な人なら、往復3時間あればいけると思います。あと日中は暑くなるので、登るなら早朝から登る方が体力的にも楽だと思います。
交通の便がそれほどよい場所ではないので、行く人は少ないかもですが、ロッブリーを訪れるついでにウォン・プラチャン山まで足を伸ばしてみてはいかがでしょうか。
ちなみに山頂まで階段が敷かれていて獣道はないので、体力さえあればそれほど困難ではないです。
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